④ 人間関係で世界を見る その4 関本塾 うつ病 癌 足つぼ 岡崎

     人間関係で世界を見る   その4

 目に見える世界(認識できない)意外の他者

 <私>と<目に見えない世界>との関係です。僕が今回1番まとめたいと思っていた関係です。具体的な例を書きたいのですが、他者の存在という概念は範囲が大きすぎて良い例が浮かびません。当然ですね、人が考える事のできうる範囲、能力いっぱいと言う事ですから。でも思いつくままかいてみます。

 ①意外な他者(困った自分の影)


 先日韓国からのニュース、<美容整形で娘をなくし、整形を勧めた母親が自殺>。
韓国は整形美容が盛んで、男性もするんです。大変ですね。
 詳しい事は分りません、でもこの娘さんとお母さんの関係が強く出ている不幸な事件だと思いました。あくまで想像ですが。アジアの典型的な<母子一体化の関係>。
 親は子供を自分の事のように考え、子も親の考えを自分のものとし共有します。(支配と依存の一体関係ですね)。
 それには、次のような背景があると思います。
 一体化の関係は自分の基準が無いため(自立の問題・周りの視線に流されやすい)、美しくある事に強くこだわり始めると、適当に妥協する事が難しい。そして娘の死に対しても、母親の責任感も無限責任となり、死を選ばずにはいられなかった。そんな気がします。

 この事は今や日本では普通になった、過食や拒食の問題でも同じです。
自分の基準が無く、「周りの人は、私を太っていると思うだろう」と言う、自分の中に生まれた、他人が見た自分を想像してしまうので、周りの人がいくら言っても決して聞く事は無いのです。
 つまり、実際にAさんやBさんに言われたのなら、AさんやBさんが「やせているね、やせすぎ」と言えば、拒食は止まります。しかし、言ってみれば、自分の中の他者が「あんたは太っているね」と言っているのです。これでは、人がいくら言っても止まりません。
 これは、<私>をつつむ実際世界の広がりが無いと、本来他者が入る部分に<肥大した自己>のコピーが、他者の代わりをしているような状態を作るのだと思います。
つまり本当の他者ではなく自分なのです。他者をはっきり認識すれば自分の影は消えます。この<自分の中の他人>は誰でも持っています。

② もう一つ厄介な自分がいます。それは自分の死後の(未来や過去も)<自分のイメージ>

 自分が死んだ後は、<自分はこういう人間だったと思ってほしい>と、誰もが大なり小なり持っています。死を意識した時など、葬式はこうしてほしいなどと、考えると思います。意外と悩みにもなっています。会社を維持してもらいたい、田畑や財産を維持してもらいたい、とあたかも自分がまだ現世に残っているかに考えます。
 ある人にとっては、今の世界よりも死後の自分がどう社会に評価されるかが、大事だったりします。
  ところが、悪評だった人が、死後釈明会見した、などと言った話は聞いた事ありません。だから、生きている今のうちにと、じたばたしても、結果は知る事はできません。たとえ知る事出来たとしても、別の世界で喜び嘆くだけ、死後からは何もできないのです。
別の世界がまったくの暇で、何もすることがなければ気になるでしょうけど、たぶん僕なら忙しくて思い出す間もないでしょう。今の自分が、昔が懐かしくてしょうがない人は、そういうことがあるかもしれませんが、死後の世界を真剣に生きる事をお勧めします〔笑い〕。

 また、僕は前世は信じませんが、もしあってもそれは関われませんから、他人でしかありません。先祖の事も他人です。同様に、関われないんですから。どんなに執着を持とうとです。それは他人と言っても良いんではないでしょうか。
 自分が先祖や死後の人に対して出来る事も、<相手の居ない>自分の思いだけなのです。自分の死後<こうして欲しい>と願っても、<立派だったおじいさん>と孫に思い出を残そうと思っても、死後は現世とはまったく関われません。無理にしようと思っても返って逆になったりします。あるのは自分の思いのみ。

 人が考える事を、死後であろうと無かろうとコントロールは出来ないのです。
人の考えは勝手に作ったり、変える事はできません。人が思っている自分のイメージも作れません。意図的にやればやるほど分ってしまうのです。自分の死後(死んだ瞬間に)、この世界とは関われないトコに行くのです。
 死後の世界を考え悩む<私>は、自己の肥大した姿であり。他者の領域、感知不能、<私>とは関われません。
 
  <人が思っている自分のイメージ>とか、<死後の自分の姿>は他者的存在なのです。そこが分ると、現実の世界が自由で楽しくなる。自己の存在が増えると欲望も増え、苦しみやきしみも増えるということなのかもしれません。
 

③ 幽霊やお化け、占い・予言の世界

 数十年前なら、「幽霊なんていないんだよ、霊なんて無いんだよ」ということは、トイレに行く子供に向かって言う事だったんですが、今は大人にまで否定されそうです。占いも予言も信じている人が大勢いるようですね。以前、岡崎に大地震が来るという予言が広がり、わざわざ町内会の役が言いふらしているのを聞きびっくりしました。

 時代が変わると<目に見えない世界>もずいぶん変わってくるんです。この霊の世界は<文化・芸術>の世界です。ですから国や民族によって違うものとして描かれています。古い民話や言い伝えはいつの間にか消えていきます。御伽噺もたくさんありました。
昔は”火の玉”と言えば幽霊の代表格でしたが、今ではあまり聞きません。世の中明るくなって、見えないのかもしれません。もし本当にあるのなら、原子炉の中に入ってもらって、発電してもらえば、最もクリーンでリサイクル可能なエネルギーになると思うんですが・・。

 しかし今は今で、新しい民話・お化けの話が作られています。例えば、テレビから出てくるお化けの映画がありました。夏になると、テレビでは心霊特集なる企画が視聴率を稼ぎます。それは想像の世界と言うのが<お約束>だったのですが、そのまま信じたり・ひょっとしたらと思う人がいるんですね。
 恨みや霊についてもっともらしい訳がつけられますが、生きている世界の常識で理解できます。宗教的な問題もあると思いますが、課題に対し自分が決定しない、自分の決定に責任を持とうとしないと、占いに頼るのです。
 また、「私は占いは信じないけど、良い事は信じても良いじゃん」とか「自身の予言、当たらなかったらそれで良いから・・」と言いながら右往左往する人もいます。それは、信じてるのと同じ。しっかり束縛されてます。つまり自由では無いんです。

 もし占いや・予知が出来るとしたら、その占いや予知出来る人達が地球上を支配しています。つまり、例えば伊藤さんが予知できるとしたら、伊藤ファミリーは災害も災難に生き延びます。そうすると、今頃日本には伊藤さんファミリーばっかになっているんです。
 だいたい自分達の先祖が墓がどうしたこうしたぐらいで、自分達を脅したり・怖がらせたりするわけ無いでしょうに。<脅す>思っている人は自分の子孫に対して、そういうことしようと思っているのかな~~と思ったりします。
 分らない事を、分ったように語り、脅すのは騙し・詐欺です。それに騙される方も、一人でトイレに行けない子供なんです。
 自分の考えの範囲でお化けの質も変わるんです。自分で衣食住をしていれば自然と分ると思うのですが、文化の発展は分化の進む社会。一人では生きていけない社会。それが進むと他者の世界が失われ何かと迷うのかもしれません。
因みに、僕んとこに出るお化けは、<ソバのお化け>かな?、出たら食べちゃうぞ~~!。
 これからは地上はデジタル・液晶テレビの時代、お化けもくっきり・きれいに見えると思います。又、インターネット上に幽霊が出現し、霊を見ると受信料を取られるかもしれませんね。気をつけましょう。

 つまりこれは<時代の文化>です。これは外の世界では無く、人間の作ったものです。
 ですからこれに振り回される事は、誰かの意思に振り回される事、うわさですね、つまらない事なんです。テレビやゲームの世界は現実の世界では無いんです。当たり前か・・!
 出来ればもっと人間界を超越した霊を創造して欲しいものです。
 PS-生きている人間のほうがお化けより怖いです。この項目で炎上したりし て!   

http://sekimotojuku.blog43.fc2.com/blog-entry-33.html           へ    つづく

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プロフィール

関本塾 岡崎市

愛知県の山奥生まれ、岡崎市に住んでます。そば屋を27年、足つぼマッサージ7年、三味線も弾きます。
 趣味はたくさん、山登り・音楽(作詞・作曲)・オートバイ・旅行(バックパッカー)・手作り工作・猫のミーちゃん・生物医学、などなど、
 癌になって気付きました。心と体の開放(生き生きする事)が1番大事だって!!

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