③ 人間関係 その3 世界を見る 関本塾 足つぼマッサージ sekimotojuku

 

        人間関係で世界を見る              その3

 人間関係の基本は話し合いです。会話は私達と私の区別をつけていくし、他者とのみさかえも深めます。言ってみれば、差別や偏見を深める事にもなります。しかしまた、会話は相手の理解を深め、差別や偏見を取り払えるのです。しかしコミュニケーションを拒否したり、そもそもコミュニケーションが出来ない事もあるのです。

 ここで大事になってくるのが、他者とは何か?です。

 他者とは先に述べたように、自分が理解できない世界の事です。ほぼ今の日本人は目で見える世界や見えている人間の事だけが他者だと思うかもしれませんが、それだけではないんです。一般には(何が一般なのか分りませんが)宗教を〔神や仏〕を意識しませんから、とりあえず人間界の事から入っていきましょう。

 日本人のみならず、それぞれの世界に、異なった<義理や人情・世間・常識>があります。日本人はイスラム社会やブラジルなどのラテン文化の世界、は理解しようとはあまり思っていません。それに対して白人の欧米の常識<わがまま>は簡単に許してしまいます。一方は他者、もう一方は<私達>に向かっているわけです。
 しかし、どんな人同士でも話そうとする事・話すことによって、存在を認める事ができるようになります。<理解できない間柄>だと言う事を含めて。理解しあう事だけが理解だけではないのです。また分かり合えたと思っても、よく話をすればやっぱり外国人だなと思い、区別や排除したりするわけです。
 つまり、現実はいつでも、同じものに対して私と<私達>と他者の関係が、深くなったり浅くなったり、入れ替わったりするわけです。
 夫婦でもそうです。新婚時代は「一生あなた(お前と)一緒」、しかし時が過ぎると、ある時は「あんたなんか知らない!」、となるわけです。
 しかし、そこで人間(自分)は元々一人、頭の中に他人と言う存在があれば、その違いが楽しめるようになるのです。夫婦でも親子でも国家でも同じです。


   存在を無視する関係

 最近、子供が家から出なくて、またいったん出て行って帰ってくる家庭が増えている気がします。一種の大家族です。経済的な理由とか・自立しないとか、離婚といった問題があるんですね。そこで起きている問題に触れます。
 昔ながらの嫁姑・親子の問題もありますが、そういうことがまったく起きていない関係もあるのです。良くいっている事もありますが、ここでは良くいってない場合です。
 どんな事かと言いますと、まったく口をきかない、話が無く、家族がばらばら、それぞれが何をしているのか知らない関係で、同じ家で暮らしているのです。
問題無いと言えば無いのですが、僕は先ほど書いたように、<人は理解しあおうとするもの(共有)>と言う原則を持っているので、それは何かおかしいと感じるのです。
 
 人は理解しようとする、それは情報を交換しようとする、と言う事。それを本来、いがみ合いけんかしながらも、楽しみ・心地よいと感ずると言う事です。
 子供は生まれて、お母さんや周りからいろいろ情報をもらいます。生きていくための情報ですね。人間はそのために、まず言葉を覚えるのです。その言葉が十分でないと、社会に出てから十分に回りとうまく交われないのです。当たり前と言えば、当たり前のことではありますが、どうもそこがうまくできなくて、社会に出てからトラブルになっている事が多いのではと思うのです。
 うまく自分が表現できない、相手の気持ちが理解できない。孤立してしまいます。私達の世界が狭くなって、自分の思いだけがより膨れ上がります。対話が苦痛であったりするのです。

 この事は、感情面でも表れてくる問題でもあると思います。小さい時に周りの人から「あの花きれいだね!」とか「かわいいね!かわいそうだね!」といった、気持ちのある言葉をかけられ育つと、感情的な気持ちや表現が出来やすくなると思うのです。
(そうなるとは限らないのが人間の面白さなのですが、知らない言葉はしゃべれないし、環境がとりあえずのベースになるのだと思うのです)
 実は僕は笑えなかったのです。育った家庭や社会に出てからも、思いっきり腹の底から笑うことは出来ませんでした。ですからたまに笑うとお腹が背中にくっついた感じになって、苦しくて・苦しくてのた打ち回っていました。今は普通に大笑い出来ます。
 
 この事は子供だけでなく、50過ぎの大人にも言えるのです。
僕は信暁さんと、時々山に登ります。いつもは一人で山に登るので、山で話す事も感情を表現する事もありませんでした。ところが信暁さんは、見晴らしのよいところで休む度に「いい景気だね!」とか「きれいな緑!」と感動します。いつの間にか僕は一人で山に登っている時でも、景色に感動するようになったのです。信暁さんに感謝!。

 そこで国家の関係を見てみましょう。

 人の関係性の延長が国家を作るのです。僕は国家はイデオロギー・イズムではなく、親子の関係・家族の関係によって出来上がると思っているのです。言ってみれば、家族の関係が民主的でなければ民主主義には成らない、と言う事です。
 選挙が民主主義の原則だと思っている人がいますが、条件の違い這いありますが、独裁国家でも共産主義の中国でも選挙をしています。逆に民主主義といわれている日本では、世襲の議員が大勢いて、未だに政権交代はありません(これは独裁政権と変わらないという見方も出来るのです)。
 昔このような川柳があったのを覚えています。「共産党、家に帰れば天皇制」。この家に帰った状態が、正直な関係性をあらしりて居るのです。
 大人になっても、ママ・ママと言ってる人達が多い国家は、母系性国家というわけです。まだまだいくらでも書けますが、本題からそれてるので辞めます。

 もう一つだけ家族の関係から、なぜ好戦的な国家が生まれるのか?、を考えてみたいと思います。
 それは家族のつながりを幼い時に切り離すと、より大きな集団に依存する個人が出来ると言う事です。それが民族・国家や宗教団体となり大きな集団になっていくと、関係性が薄れていきます。その結果、関係性を強めないと集団が維持できなくなると感じり、敵を作ることにより集団性を維持しようとする力が働くからです。

 ユダヤ人はホロコーストで家族を失い(彼らの歴史は家族の離散の歴史です)、精神的基盤をより大きな宗教や民族に置かざるを得ない状況でした。したがって、イスラエルは他の国家より集団を維持しようとする力が働き、敵を常に作らなければ居られないのです。
 北朝鮮も国家が、親と子供を切り離し思想教育をします。親子の関係は<指導者と子供(首領は私達のお父さん)>と言う関係の置き換えられています。
 日本も明治以後の産業革命・人口爆発で、幼い子供達が親元を離れ都市に移住して工場労働者や兵隊になりました。
 家族が子供達を育てると言う事は、自分で考え・生きていけるようにすると言う事です。そのころは、その前に大きな組織に教育され・すくい上げられ組織や国家に帰属意識を強くしたのです。
 大戦に負け、民主主義国となったわけですが、人間は変わりません、今度は企業戦士となり、高度成長の時代となったわけです。

 僕は宗教や民族・国家形態の違いによって戦争が起きるとは思っていません。
戦争は塀を高くした人間の集団が、自分達の集団維持のためにするのだと思います。
逆に言うと、強い集団意識〔帰属意識・依存〕が無ければ戦争は始めません。
 アメリカは移民の新しい国、国として維持するためには敵が必要なのです。大統領の演説は常にアメリカ人として、団結を訴えます。高い塀を作ろうとしているのです。アメリカ人という意識が国民に強まれば戦争は止まります。また強くなりすぎても戦争を始めるのですが・・。左翼も右翼も共に危なっかしく思えるのはそういう事なのです。ゆるい連合が良いのです。
 連合赤軍の事件を思い出してください。彼らはのベースに流れていたのは、思想ではなく、強い集団意識を維持しようと言う意識が起こさせたのです。
つまり、個人が家庭のような小集団の中から、自立し、大きな強い集団に帰属・依存しなければ戦争は起こせないのです。(大きな集団からは、自立は難しいからです)

 今は優良企業もリストラをする時代です。帰属意識の強い会社員は会社から離れると不安になります。自殺を考えるのではなく。今こそ自立のチャンスと考えるのは私だけなのでしょうか。

http://sekimotojuku.blog43.fc2.com/blog-entry-32.html   へ続く!!

 

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プロフィール

関本塾 岡崎市

愛知県の山奥生まれ、岡崎市に住んでます。そば屋を27年、足つぼマッサージ7年、三味線も弾きます。
 趣味はたくさん、山登り・音楽(作詞・作曲)・オートバイ・旅行(バックパッカー)・手作り工作・猫のミーちゃん・生物医学、などなど、
 癌になって気付きました。心と体の開放(生き生きする事)が1番大事だって!!

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